中編より、時代の変化に気づかず方針を変えずにがんばった結果、大きな(私にとっては)借金を作ってしまいました。
しかしやっと気づき早く行動を起こしてなんとか持ち返し、さらに時代の流れにのることができました!
オーダーの時代から既製品の時代になり、低価格商品が氾濫して寸法直しの受注が激減しました。
しかし一方では節約思考から安く直せるなら直してまた着たいという潜在需要も高まっていたのです。
洋服リフォームは寸法直しだけでない、修理のサービスも従来からありました。
それをマニュアル化、メニュー化しお客様に喜んで頂けるようになり、調子にのりフランチャイズで同業者を仲間に募っていきました。
前回からの流れを書かせて頂きました。
最初は画期的だと認められすぐに10店舗までになりましたが職人さんがいきなり経営者になるなんて父の例にもありましたがよくないことなんですね。
私のやり方を最初は認め、はじめても次第にまたもとの手間のかかるやり方に戻ってしまう。
宣伝広告費をおしむ。技術論を語りだしたらエンドレス(笑)加盟店の売上は次第に下がりはじめました。
人は誰でも「うまくいったときは自分のおかげ、うまくいかなくなると人のせい」誰もと書きましたが大なれ小なれそうだと思いました。
わずかなロイヤリティでよくそんなこと言えるよ!
と内心思いましたがやはり私もそうですね。
いうことをきかない加盟店のせいにしはじめたのです。口論も多くなり、しまいには連絡もとりたくなくなってきました。また今回は人間関係でこんなにも悩み、精神的に病むなんて、夢にも思っていませんでした。
挫折し、フランチャイズを解散しました!
洋服リフォーム業界の話に戻ります。私がこんなにもフランチャイズで苦しんだのに大手資本リフォーム会社は
どんどん店舗数を拡大していきました。
システムはここでは詳しく書けませんがお店を用意してあげて「どうぞ入ってやって下さい。そのかわり売上の何%がロイヤリティです!」いろいろなケースがありますがこんな感じです。時代は独立開業ブーム、瞬く間に全国にリフォーム業界が確立されていきました。
ところが先述した私の経験が物語るように内情はけして順風ではなかったのです。
リフォーム業界の最盛期はもう終わりを告げてきていました。私は今度は敏感にとらえていました。
このままでは危ない!
なんとベストタイミングでクリーニング屋さんの下請けの会社、いわゆるホールセールの代理店にならないかというお誘いを受けました。
かねてから衣類の修理品はクリーニング屋さんに山ほどあると分かっていたのでそのホールセールの仕事と合わせてうちのリフォームの仕事をすればやれる!と思い私の弟を会社に引き入れ地元のクリーニング屋さんを回るようになりました。修理のノウハウも確立されていましたからスムーズに受注をどんどん増やしていくことができました。ところが!また苦難の道が待ち受けていました。後編と書きましたが紙面の都合上(?)この辺にしておきます。
写真は今から12年前から始まった日本クリーニング新聞の連載第一回目です。そしてその連載をまとめてくれた私の本です。日本ではじめてのリフォームの本と紹介して頂き、内容も我ながら凄いと思いますがこの表紙を見てモチベーションが下がり友達に自慢できなくなってしまいました。「表紙はデザイナーにお願いします!
その分は私がお支払しますからと言わなかったのを後悔しています。_-)))
続編は「いいね」100越えたら考えます。
近年になるほど書きにくくなるものですね(^-^;