2015年04月19日

洋服リフォーム業界を語る「前編」

私の祖父は戦前からテーラー(洋服仕立業)でした。
父もそうでしたが既製品がどんどん普及しだして洋服を仕立てる人が減りだし危機感を感じた父が洋服リフォーム業に転業しました。
当時は既製品も今と違いそんなに安くなくて、出かけるときはほとんどスーツが当たり前の時代でしたから寸法を直す人達がたくさんいて父は転業したとたんに大繁盛して職人から、いきなり10店舗くらいの経営者になりました!
この時期にうまく転業し成功した人達は全国的にたくさんいて瞬く間に洋服リフォーム業界ができました。
しかし職人がいきなり経営者になるのはよくないことですね。働き者だった父がお店を各店長に任せるようになり自分はすることがなくなり毎晩たくさんお酒を飲んだり生活も派手になりました。
転業してわずか6年で体を壊し、最後は脳梗塞で亡くなってしまいました。まだ49歳でした。
私は大学4年で警察官に内定が決まっていましたが急遽家業を継ぐことになり大学卒業後、洋裁とデザイン、そして簿記の学校に行くことになりました。もちろん父が稼いでくれたお金があったからこれだけの学費をかけてもらえたのです。バブル全盛期ではありましたがテーラーのままだったら大学なんてとてもいけなかったと思います。
しかし父が亡くなって会社では内乱が起こりました。
独立者が出たり、店の乗っとりだったり!
誰もが成功できるものは誰でもノウハウさえ覚えたら独立してしまう!その最も苦しい体験を入社したとたんにさせて頂きました。
私が入社して2年後にはなんと2店舗しか残りませんでした。社会の厳しさをいきなり体験しました。
負けん気と根性で巻き返しをはかろうと出店を計画したら今までよき同業先輩達がいきなり出店を断念するようにアドバイスしてきました。当時は組合みたいなものがあり、今では考えがたい話ですがテリトリー制(なわばり)みたいなことを諭しだすのです。
当時は暴れん坊将軍みたいだった私は仲間の反対を押しきり浜松市に意気揚々と出店をしたのです。
しかし時代は大きく変わろうとしていることに気づいていなかったのです。また悲惨な運命が待ち受けているとは思わなかった派手なスーツでカッコつけていた頃のはずかしい私がいる開店祝いの写真です!
中編に続く。


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