2015年04月22日

洋服リフォーム業界を語る!「中編」

前編より、家業を継いだにもかかわらず父が築いたほとんどの店を失い、多くの従業員もいなくなりました。
父が亡くなったのをチャンスととらえて独立、のっとりされたことを私は一生忘れません。しかしこれが後々の私の学びとモチベーションになったから今は感謝していますからご安心を。そしてこのようなことは全国的にもありがちなことだったのです。
まさに下剋上の世界ですね。
しかし私は自信がありました。2、3年の間に多くの職人からいろいろな技術を学んでいてほとんどの寸法直しの技術をマスターしていたからです。
それと今までのような売上を期待していましたから銀行から開業と運転資金1000万円を借り入れ意気揚々と浜松市にオープンしました。
当時は浜松市内に50店舗以上の洋服リフォーム屋さんがありました。
私は宣戦布告だとチラシをバンバン入れ、またラジオCMまでして派手に宣伝しました。
ところが予想以上に売上は上がらない、父がいた頃は各店月の平均売上は150万円位、当時ははずかしくて言えなかったけどなんと半分以下70万円位でした。
そうです。時代は一気に変わってきていたのです。
ご存じバブルの崩壊、それとユニクロなどのファーストファッションの登場でカジュアル化という言葉がもてはやされました。
右肩上がりだった既製品スーツの売上が下がりはじめたのもこの頃からでした。
父の頃は大半がアウトソーシング(外注)でしたが経費削減と思い内部加工に切り替えました。
よく人から「リフォームは仕入れや在庫がなくていいね」と言われますが例えば職人一人が1時間に2000円しか作業できないとしたら経営は成り立ちません。
最もおそろしい管理困難な人件費が経営を圧迫するのです。
また自店の損益分岐点も知らなかったら毎月いくら赤字になっているのかさえも気づかなかったのです。
例えば毎月10万円の赤字だったら年間120万円の赤字になりますよね。
あっという間に私の資金はなくなりました。
そこでまた借り入れ、いわゆる自転車操業の始まりです。
がんばって深夜まで休みなしで働いても借金払ったら自分の給料もでない!
「これが生き地獄なんだ!」と、思いました。
もう死ぬしかないと本気で思いました。
しかし母を残して死ねない!
勉強し直そうとそこではじめて必死に勉強しました。
経営だけでなく精神的なセミナーもたくさん参加しました。やっと精神的に立直り、先ずは料金表を見直しました。「そんなにするなら新しいの買った方がいいね」というお客様が増えてきていたからです。
そこで高額でわかりにくい料金体系を低料金化してわかりやすい料金表を作りました。
また生産性を見直し、職人さんから抵抗もありましたが
加工を出来るだけ早くできるように改善しました。
また寸法直しではない修理のメニューを作り充実させヒットメニューを作り上げました。
これらが実り、やっと売上は上がりはじめました。
これならいける!と、すぐに調子にのるのは父親譲りなんですね。
隣の磐田市、袋井市と次々と出店をしたのです。
すると順調な売上で営業できるようになりました。
さらに調子にのり、同時に研究していたフランチャイズシステムも完成させていたのでフランチャイズの募集もはじめました。
洋服リフォーム業に転業しおくれたテーラーさん、洋装店さんが加盟されあっという間に10店舗になりました。これで全国制覇だと本気で思いました 。
しかしこのフランチャイズの流れは全国的に大資本のグループ企業でも当社とは全く違ったシステムで進行していたのです。
またもや苦難の道を歩むことになるとは夢にも思ってなかった青年実業家気取りの私と母です。
当時は、母といると夫婦に思われてたなぁ、まだ独身だったのに!(°Д°)
「後編に続く」



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